Japanese
English
特集 障害受容における相互作用
障害受容の相互作用論―自己受容を促進する方法としての社会受容
Acceptance of disability and social interactions: social acceptance as a effective method of self acceptance.
南雲 直二
1
Naoji Nagumo
1
1国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所
1Reserch Institute, National Rehabilitation Center for Persons with Disabilities
キーワード:
自己受容
,
社会受容
,
相互作用
,
コミュニティ
Keyword:
自己受容
,
社会受容
,
相互作用
,
コミュニティ
pp.811-814
発行日 2003年9月10日
Published Date 2003/9/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552100880
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一つの問い
つい先日,「母と私の五十年」1)と題された小さな手記が,それを読んだ知人から送られてきた.そこには「左手を隠して歩け」,「あんたは何もできない」という2つの言葉が,母親から呪文のように言われ続けてきたことが記されていた.「昭和23年6月,1歳6か月の私がポリオに罹ったとき,母はちょうど妹を出産したばかりだった.私の左手が動かなくなった,もう治らないと知ってひどいショックを受けた母は,泣くわ,わめくわで,まるで気が狂ったようだったという.小学校に入学した頃から,母は私に『左手を隠して歩け』としきりに言い出した.そう言われることが,私にはひどく苦しかった.左手が動かないこと,だらりとして形が悪いことは自分でもよく分かっている.だが,なぜそれを隠さなければならないのだろう.重苦しい心の葛藤の始まりだった.」「私にはできないことがたくさんあること,部分的にはできても完全にはできないことが多いことを知っていた.何でも手早く達者にこなす母は,自分の仕事ぶりを自慢しながら,私を見下すような視線で『どうせあんたにはできないのよ』と言った.」
障害受容とは,障害によって変化した諸条件を心から受け入れること,というのが包括的な定義2)であろう.では,そこで問題.この手記の人は母親から負わされた心の苦しみを受容すべきであろうか?
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