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本人の意欲,そしてタイムリーなアドバイス
小 林 憲 吾(東京都)
18歳のときに福島県から上京して以来30年,衣料品メーカーの営業マンとして働いていました.1999年11月,48歳のときでしたが,大阪支店の同僚の帰阪を見送りながら東京駅近くでお酒を飲んでいて,午後7時頃,くも膜下出血を発症し,救急車で聖路加国際病院に運ばれました.その間,意識不明で自分では何も分かりませんでした.翌日に手術をしましたが,水頭症を併発し,意識障害が1月続きました.シャント手術で意識は戻りましたが,歩行も不安定で,重度の記憶障害が残りました.
翌2000年の3月から6月,リハビリテーションのために東京都リハビリテーション病院(以下,都リハ病院)に入院し,いろいろなスタッフの方にお世話になりました.運動機能は改善しましたが,ここで一番問題になったのは,今後の生活の仕方でした.記憶することが困難になり,自発性や社会性がなくなってしまったのです.そこで,できるだけ家を出て活動をするということを第一の目標にしました.
自宅から自転車でいけるところに「希望の家」という障害者作業所があります.ここは,知的障害者のための作業所ですので,私には賃金は出ませんが,自分のリハビリテーションのために,立場はボランティアとして,もちろん仕事内容は配慮してもらって参加することになりました.(このときはまだ,元の会社に復職する希望をもっていたので,重就職にならないこの方法は好都合でした.)まずは一人で行けるかどうか心配でした.最初は妻と一緒に行き,その後は自家製の地図を作ってそれを見ながら一人で行けるようになりました.毎日,朝9時から午後3時頃まで,割り箸などの袋つめ作業をしました.次第に仕事や通うことにも慣れて,規則正しい生活になってきました.でもここは給料はありませんでしたので,次のステップとして,少しでもお金を稼ぐことを目標にしました.
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