- 有料閲覧
- 文献概要
日本思想史の学者である源了圓は,伝統芸能の世界において,「身体と意識」の問題について,技と心が問題となるのは技が高度な段階に達する前段階であると述べている.まず,意識的な稽古である動作の型の習得の過程があり,その結果,型は無意識化され芸が完成する.芸を磨くことにより,行為の自動化が促進され,意識の関与しない無心の境地(名人芸)に達するという.
私は神経心理士として23年間,リハビリテーションの世界で高次脳機能障害の臨床,研究に従事してきたが,この考えを,神経心理学的検査場面にあてはめてみると,20年前に初めて検査を実施した頃は,インストラクションに忠実に,手順を間違えないように等,いろいろと気配りが大変で,検査実施に汲々とし,また,過度の意識化のため「あがって」しまい,相手の様子をじっくりと観察する余裕など微塵もなかったものだが,直に,検査の説明や手順は体で覚え,極端には,アクビをしながらでも間違いなく検査遂行が可能となった.このような段階に達してはじめて,検査を実施している自分と,その自分を俯瞰的に見ている自分がいて,相手を誉めたり,叱ったりする場面でも,感情的にならずに,冷静に相手と自分を観察しながら,相手の立場に立って一緒に問題点,課題解決に立ちあえるようになる.いわば,役者が舞台で役を演ずるがごとく,検査場面に望むことができるようになる.ただ,20数年という歳月の流れがこれを可能ならしめたとは思わない.単に反復繰り返せばいいというものではなく,眼前の対象を「頭の天辺から爪先まで」丸ごと理解しようとする努力の積み重ねが必要である.このような臨床姿勢の基本は,演奏家の技術が「一日休めば自分にわかり,二日休めば家族にわかり,三日休めば聴衆にわかる」と言ってリハビリテーションスタッフの怠慢を戒めた石神重信先生のリハビリテーション道場での10年間の丁稚奉公のお陰と感謝している.大リーグの年間最多安打記録を84年ぶりに塗り替えたイチロー選手が,あるインタビューで「苦手な投手ほど対決が楽しみである」と語っていた.それは,相手投手が配球に苦心し,決め球を投げてきたとき,その決め球を打ち返した時の快感は打者冥利に尽きるとのこと.ケースと相対する時,一期一会の真剣勝負を楽しむ.今はそんな気持ちでケースに望めるので,まるごと一日,ケースと付き合い,いろいろな話が聞けるのを贅沢と感じている.
Copyright © 2005, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.