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学生時代にバスケットボールを通じて理学療法という仕事と障害のある人のスポーツに出会った.その後の私の人生に大きくかかわることになる車いすバスケットボールを最初に見たときは,自分の行っているバスケットボールの面白さと,車いすと障害という異なる要素が加わった魅力的なスポーツに見えた.選手たちのような障害がある人,特に重い障害をもつ人のリハビリテーションにかかわりたいとリハビリテーションセンターを志した.センターに就職してからは,幸運にも多くの脊髄損傷を担当し,またセンターには医療体育科があったので,そこでさまざまな障害やスポーツに触れることができた.その頃の私は,車いすバスケットボールのコーチとしてステップアップしていた時期だったが,恵まれた環境のなかで全国障がい者スポーツ大会にも参加し,活動範囲を国内に広げていき,まさに障がい者スポーツがライフワークとなった.
車いすバスケットボールの海外遠征や合宿などに帯同して視野が広がると,もっと障がい者スポーツにかかわりたいと感じ,また社会の理解が得られない場に遭遇すると,彼らの環境を改善したいという問題意識も高まった.前者は障がい者にスポーツを職業にできる人はほとんどいなかったので諦め,後者に対して何かできないかと大学院を探した.障がい者スポーツを専攻できる大学院はなかったが,進学した体育系大学院ではスポーツ文化や施策など,スポーツにかかわる多くの情報が得られ,何より貴重な人脈ができた.物事は希望どおりに進むことは多くないが,目の前にある選択肢のなかで少しでも好きなほうに寄っていった結果,予想しないよい結果を生んできたと私は思う.こうしてたどり着いたところが今の場所である.
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