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日常で起こる問題の対処作業がようやく少し“楽しい”と思えるようになった.それまで自分の内側に向いていた何かが外向きになったと感じられ,人として丸くなれたとうれしく,同時に年齢が進んだきざしと寂しくもある.裏を返せば,青年期の私は日々の些末な問題対応や周囲との調整対応が心情的には大嫌い(やるべきことはやったがまあまあの面倒くさがり)だった.振り返るにこの変容には過去の経験(世話になったこと,失敗や努力)すべてが役立っている.
昔読んだ本の1つを読み返した.植村直己著『北極点グリーンランド単独行』(文春文庫).稀代の冒険家が犬ぞりで挑んだ日記で,命からがらのハプニングや生死を分ける決断が次々に淡々と書かれていてあらためて感動した.単独行にはそれまでの冒険と比較して,空輸による物資補給や人工衛星を活用した位置確認といった科学的技術が加わったこと,事前情報も多めに得られたことを幸いとしながらも,しかし現場では繰り返し危険に遭遇し,相棒の犬もクレバスに失い,瞬時の判断をそれらが和らげてくれるわけではなかったとしている.“危険”とはこの場合,絶命のことであり,『何かが自分を守ってくれていると思うことが,かえってその危険を大きくする』とする戒めがあった.北極点をめざして北極海上にいたときには氷点下40℃を下回り,時に氷点下50℃を突破する極限環境で手足の感覚を失い生死の狭間で進んでいた.それに比べて,続くグリーンランド縦断は気温については氷点下10℃台の行程であったにもかかわらず,あるとき氷点下20℃まで冷え込んだ瞬間に指が凍えて音を上げそうになったとある.『人間なんて本当に甘えだしたらきりのない存在』とする戒めが印象に再び残った.
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