理学療法草創期の証言
我が国の肢体不自由児療育体制は高木理念と水野理念の結実によって発展した
紀伊 克昌
1
1ボバース記念病院リハビリテーション部
pp.557
発行日 1994年8月15日
Published Date 1994/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551104069
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理学療法士・作業療法士制度の誕生の背景は杉山尚教授の論文1)によると,高木憲次教授を代表として昭和初期から始められた療育の調査研究グループがあった.肢体不自由児への療育の必要性を強調され,自ら,“夢の教養所”で実践された高木博士の理念は,欧米で提唱されていたリハビリテーション概念とまったく同義語の人道思想に満ち溢れたものである.高木博士の仕事を引き継がれていた小池先生は1963年ころ,理学療法士・作業療法士身分制度調査打合会の席上で,我が国の肢体不自由児療育体制を確立するために先駆者が努力してきた長い道のりを説明され,それの延長線として理学療法士・作業療法士という専門職の必要性を強調された.また大阪でドイツ人Herter整形外科教授の流れをくんで,ヨーロッパリハビリテーションを包括した近代整形外科を発展させておられた大阪大学水野教授も身分制度調査委員として,理学療法士・作業療法士の誕生を強く主張された.
その水野教授の指示で小野先生(後に教授そして大阪大学医学部長になられた)とともに,梶浦,井上,廣島ら4人の先生方は近畿圏の肢体不自由療育界で指導的役割を果たしておられた.このころ,肢体不自由児療育界に一つの変化が起こっていた.ポリオ,結核などの感染性疾患や先天性股関節脱臼のような骨・関節疾患による肢体不自由児の入園児が激減し,その代わりどこの施設でも脳性麻痺児の入園が半数以上を占めるようになっていた.
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