特集 重度障害児の理学療法
人間として生きる
長谷川 弘一
1
1秋田県太平療育園医療科
pp.550
発行日 1991年8月15日
Published Date 1991/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551103325
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1990年3月21日午後10時過ぎ,突然自宅の電話が鳴った.「先生,Sちゃん死んじゃった.死んじゃった.」悲鳴にも似た母親の声が聞こえてきた.「死んだ?えっ?えっ?」そう聞き返すのが精一杯で,後は会話にならなかった.自分がSちゃんの担当理学療法士になって5年目のことであった.
Sちゃんは,脳性麻痺に精神発達遅滞やてんかんを合併した重症心身障害児であり,生後11か月より当園の療育を受けていた.その中心的役割は母親がこなしており,家族や近所の人々の協力も十分に得られ,比較的整った療育環境であった.Sちゃんは全身的に緊張が高く,摂食,排泄,睡眠障害に加え,呼吸機能にも問題がある子どもであった.一晩中泣きながら全身でそり返り続け,朝になってようやく眠るということもしばしばみられた.風邪から肺炎を併発し,救急病院へ運ばれたことも2度や3度ではなかった.しかし,どんなときでもSちゃんの傍には,母親と家族が居た.母親はSちゃんの表情や仕草から,今何を要求しているかを瞬時に理解し,子どもの欲求を満たしてくれるのであった.自分の欲していたことがそのとおり行なわれると,Sちゃんの表情はなごみ,全身の緊張もまた低下していくのであった.
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