先輩からのエール
理学療法士の無限の夢
平岡 八洲麿
1
1神鋼ケアライフ ドマーニ神戸
pp.652
発行日 2004年8月1日
Published Date 2004/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1551100537
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昭和44年,第4回日本理学療法学術大会の神戸市での開催準備の折,懇親会担当だった私が会場探しに奔走していた際の話です.あるお店の支配人に理学療法士の説明をして会場に了承していただいたのですが,その支配人が最後に,「まあ理科にかかわる先生の団体ですね」と念を押します.唖然としましたが,理解していただけないのは無理からぬ時代でしたので,曖昧な返事で引き上げました.当時としてはこんな話は決して珍しいものではありませんでした.わが国のリハビリテーションの発展は後療法としてのマッサージ,物理療法を基盤として発生した歴史的な経過がありますので,理学療法士と理科の先生との違いは,言葉で説明するだけでは一般の人には理解しにくかったと思います.現代でこそ「リハビリテーション」という言葉も,正確な理解はともかく一応市民権を得ました.理学療法士という職業もそれほど説明しなくても一般に通用しているようです.昭和50年代ごろまでは多くの病院では物理療法室の表示が掛かっていて院内他職種の職員も物療と呼んでいました.
「リハビリテーション」という言葉がわが国に一般的に普及したのは,有名スポーツ選手の怪我の治療としてスポーツ紙を始めとした各種マスコミにリハビリテーション治療開始の記事が報道されるようになった頃からです.さらに昭和60年,元首相の田中角栄氏が脳卒中で倒れた後のリハビリテーション開始は,当時の新聞やテレビで大々的に報道されました.この時代になるとリハビリテーションも世間に認識されるようになりましたが,病気や怪我の後の機能回復が主体でした.
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