検査の苦労ばなし
焼土の雑草
平井 秀松
1,2
1電気泳動学会
2北大・生化学
pp.310-311
発行日 1977年4月1日
Published Date 1977/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201339
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TiseliusがTiseliusの電気泳動法を発表したのは1936年のことであった.翌年ドイツ軍がポーランドに侵入して世界はあげて戦争に突入,平常の科学研究はほとんど停止し,Tiseliusの方法は一編の小論文として10年近く研究者の視野を離れる.太平洋での作戦を終えて僕が大学に復帰したのは昭和21年の正月であり,ふとしたきっかけで児玉桂三先生の生化学教室に入門した.東京はなお硝煙がくすぶっているような一面の焼土であり,この中に東京大学がぽつんと取り残されていた.
僕が先生から与えられたテーマはウマ血清タンパクをタカジアスターゼで分解してみよというのであった.この分解によりタンパクの糖部分を消化し去れば,異種タンパクとしての抗原性が除去できるのではないか?そうすれば代用輸血品,ないしはタンパク補給源に使えるのではないか,といったお考えであったようだ,戦陣医学の名残りと栄養失調症が背景にあった時代である.消化過程の変化は当時唯一の血清タンパク分画法であったHoweの硫酸ナトリウム塩析法で追跡した.プソイドグロブリン,オイグロブリンといった分画名であった.
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