- 有料閲覧
- 文献概要
わが国における最近の先端技術の発展・繁栄ぶりは,われわれ日本人は申すに及ばず,国際社会においても賛美・驚嘆され,その成果は極めて高く評価されているのみならず,すでに一部の国々では欽羨の心情を越えて,脅威と警戒の眼で対峙の姿勢をさえとっているのが見られる現況である.これら先端技術の成果は当然われわれ脳神経外科領域の検査・診断・治療の各方面にも速やかに導入・応用されて一大革命的な変改をもたらしている事実は周知の通りである.しかしかような論評はただ一方向から投射された光に映し出された像の華麗さに眩惑された幻想にも等しく,事象の本体について各方向より深く掘り下げ,精慮・熟考して到達した結論ではない.ここ数年来,世間一般に蔓延して多くの人々を無分別な狂信状態に陥れている,いわゆる"日本大国論"教の思考形式と同じであって,軽々しく欣喜雀躍して賛同する訳にはいかない.時の流れの中に生きる人間が流れから断絶して,現在という一時点に立ち止まり,未来への洞察力に欠けた思考形式から考え出した結論には"生"ある有機体の本性を解明するに必須の条件が具備されておらず,真実性に乏しい.
未来は"不安"と"期待"の2つの顔を持って,われわれを瞠視している.不安は絶望への翳りであり’皮肉にも繁栄の持つ運命的な背面である.不安は"考える葦"人間が,また深淵に張られた綱を対岸に向って渡り行く人間が一生背負って歩き続けねばならない宿命の"荷重"である.不安は"考える葦""疑い"と同様にはっきりとした外部からの重圧への反撥ではなく,不鮮明さに対応する’内なる心の悶着・葛藤である.知り・考える能力のない者は不安を感じない.この際,ゲーテの意味深長な格言が想い出される.
Copyright © 1983, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.