検査の昔ばなし
2つの広明学校
広明 竹雄
1
1前:国立東京第一病院研究検査科
pp.66-67
発行日 1977年1月1日
Published Date 1977/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543201265
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私は大戦中軍医学校が募集した外地派遣要員として3か月の教育を受け,そのまま軍陣防疫学教室に残って勉強することができ,戦後国立東京第一病院に技官として勤務するようになった.
戦後間もないころ,内科の研究室や理学教室などで仕事をしていた技術者は,今のように学校があるわけでもなくだれも専門的な勉強をした者はいなかった.指導者もなく理論的にも技術的にも寄り所のない者が,研究室の片すみで細々と仕事をしていた.レベルもまちまちだったので,その格差を少しでもなくせたらと国立病院間で研究会を開くことにした.2〜3回やっているうちに,"国立が講習会をやっているなら私も入れてください"と地方の人たちも参加するようになった.当初はウィークデイに行っていたが,それでは主任クラスの人しか出て来られないので,若い人も参加できるように5回目くらいから日祭日に行うことにした.病理細菌研修会(世に広明学校という)の始まりである.
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