医学の進歩をになった人々
桂田 富士郎・2
中山 沃
1
1岡山大第2生理
pp.50-52
発行日 1974年8月1日
Published Date 1974/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543200536
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日本住血吸虫の発見
明治37年(1904)桂田教授は山梨県で1頭のネコを解剖し,1匹の雄の吸虫を見つけた.これが世界最初の日本住血吸虫である.続いて同年この発見に遅れること4日で,京大の藤浪鑑教授が広島県の片山地方の人屍体から1匹の雌の虫体を見つけた.この病原虫の発見までには多くの研究者の経験,努力の累積が必要であった.
桂田教授が山梨県におもむいたのは明治37年4月6日で,中巨摩郡大鎌田村大里の篤学の開業医三神三郎氏の離れ座敷に,同月10日まで滞在させてもらい研究に従事した.この間自らの手で人屍の剖検を行う好機に恵まれなかったけれども,以前行われた剖検例の肝臓その他の臓器を入手できたので,精細な病理学的検査を行った.いずれの例でも肝臓内に患者の糞便内に見られると同様の虫卵が存在し,そのため結合組織の増殖を促し,これによって各種の変化が続発していることが想像された.一方,患者の臨床的検査を行い,数名の患者の糞便中に問題の虫卵を見つけ,これを精細に検索した.その結果この虫卵は卵蓋がないので一種の雌雄異体吸虫のものであると考えた.この母虫が一種の吸虫であるならば,人体と同一の吸虫(箆形二口虫,肺蛭)に対し終結宿主として好適であるネコ,イヌを解剖検査することは,母虫の発見に有益であろうと考えた.
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