医学の進歩をになった人々
桂田 富士郎・3
中山 沃
1
1岡山大第2生理
pp.50-52
発行日 1974年9月1日
Published Date 1974/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1543200564
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休職後の桂田博士
予期しない休職を命ぜられた桂田博士はもんもんとして岡山の自宅にひきこもっていた.しかし寄生虫学者として著明な博士を岡山に閑居させてはおかなかった.翌大正2年朝鮮総督府は桂田博士を招いて,朝鮮におけるジストマ病その他の地方病の調査を依頼することにした.博士はこの招きに応じて同年4月27日岡山を出発朝鮮に向かった.約2か月間京城に滞在してジストマ病を研究し,ほぼその目的を達した.そしてまたロンドンで開催される第17回万国医学会会議に委員として出席する日も迫っていた.総督府医院その他官民合同の送別会を終えて6月26日京城を発ち岡山へ帰った.そして7月20日岡山を発ち,シベリア鉄道でロシア経由でロンドンの会議に向かった.会議終了後ヨーロッパの各地の大学,研究所などを視察し同年12月31日敦賀着,次いで岡山に帰った.続いて翌大正3年1月会議の結果を報告のため上京したが,この時退職したように思われる.
かねてから桂田博士は東京帝国大学理科大学(理学部)に"吸虫類の研究について"の論文を提出中であったが,このすぐれた業績に対し,大正3年5月理学博士の学位を授与された.当時としては医学,理学の両博士の学位を取得することはまれのことであった.
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