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日本人の宇宙での活躍が目覚ましい.今をさかのぼること約40年前,アポロ11号が月に軟着陸し,アームストロング船長とオルドリン飛行士が初めて月面歩行をしたとき,それをテレビで見た世界の多くの人は,「信じられない」と思ったに違いない.月は遥かな世界であり,まさか人間が到達できる範囲のところとは誰も予測だにしなかった.実際,アリゾナの砂漠あたりでロケーションをし,宇宙飛行士に演技させたに違いない,と思った人々もいた.これをそのまま映画にしてしまったのがアメリカ映画,「カプリコーン1」である.出発直前の故障のため,宇宙に飛び立てなかったカプリコーン1の乗組員たちは,国家の威信をかけた一大プロジェクトが中止とは言えなくなり,辻褄合わせのために,砂漠で宇宙遊泳の演技をさせられ,宇宙からNASAへの交信の真似事をさせられる.しかし,この交信電波がアメリカ国内から発信されていることに気づいたアマチュア無線家の通報により,事態は一変する,というのが物語のあらすじである.何年か前,アメリカのテレビの特集番組で,アポロ宇宙船が月に軟着陸したのは間違いである,という企画が放送され,話題になった.根拠は,①月は真空状態なのに,「静かの海」に立てられたアメリカの国旗がはためいていた.②画面に星が全く見えなかった.③月面に映し出されたアームストロング船長の陰が太陽光線の方向と同じ方角に見えた,などといったものである.これに対し,NASAは珍しく躍起になって反論した,という話まで飛び出すと,「やっぱり」という気になるのが人情というものであろうか.人を信じさせるにはエビデンスがいる.NASAはこのエビデンスに地球の何処にもその成分を含んでいない月の石の存在を挙げた.しかしよく考えると,これは宇宙のかなたから飛来した隕石でも可能ではある.物事は疑い出すときりがない,という話である.研究をするということは,「月の石」を見つける作業に他ならない.「コーカサス地方には百歳を超える老人が多い」→「コーカサス地方の住民はヨーグルトをよく食べる」→「ヨーグルトを食べると長寿になる」.一見筋の通った三段論法に貫かれているかに見えるこの論法も,その他の環境因子に関する調査が欠けており,単に一つ物事の相関を明らかにしたに過ぎない.事実を真実に昇華させるためには「月の石」が必要なのだ.臨床研究は,倫理の縛りや疾患モデルの欠如などで,因果を実証することが困難で,ひとつひとつの症例の積み重ねや過去の報告,統計処理などをうまく組み合わせ,重厚な研究となっているものは枚挙に暇がないが,分子生物学的な研究手法の進歩により,「月の石の採取」は手が届く範囲のものとなりつつある.突き止めた病因蛋白質をsiRNAなどで,ノックダウンしてみる,遺伝子操作の手法で,過剰発現させてみるといった,loss of function,gain of functionの研究により,実証する,といった作業がぐっと身近なものになった.着々と科学は進化している.
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