コーヒーブレイク
道は一原に出づ
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.1419
発行日 1996年12月15日
Published Date 1996/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542903186
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永い間海外生活をしている検査診断学教室時代の弟子K君が夏休みに一時帰国をした.彼女は教室では学位論文をしあげ検査専門医の資格も取得した後,私の退官寸前に酵素検査の仕事をするために渡英した.1年後英国で大学院を受験したいと言ってきた.賛成してやると厳しい試練を乗り超えて数年後PH.Dも取得し,1年前からは米国の研究所へ移って頑張っている.すっかり洗練されて美しくなったが,研究は段々基礎のほうにはまりこみ,研究費の獲得も容易でないと言っていた.
私の教室在任時代の最大痛恨時は国立大に講座がつくのが遅きに失したことである.全国では2番目に開講したが,退官まで10年に満たず,育成した弟子も彼女を含め10名足らずであった.それでもなべて卒業成績トップクラスの者が入局してくれ,検査専門医の資格を取得しT.Y.君やS.K.君のように関連の検査畑に進出した人もいる.A.S.君も外国留学後内科畑に進んだが,昨今内科から来る人の逆で,研究も意識的に検査を大切にしているから,それなりに頼もしい味方である.大方が母教室から離れてしまったが,それぞれの道で思う存分伸びてくれれば師としても果報である.
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