コーヒーブレイク
ヤマの診療所
屋形 稔
1
1新潟大学
pp.588
発行日 2003年6月15日
Published Date 2003/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1542100954
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今から44~50年前の頃,大学臨床科に席をおいていたが時々県北の山間の診療所の応援に出かけることがあった.盆や正月にたった1人の常勤医師が不在になり,むしろ好んで留守番を買って出たというべきだろう.昔クローニンという作家の描いた「城砦」という作品に描かれたような山間の鉱山集落の風景に魅かれるものがあったのである.
それは飯豊(いいで)朝日連峯の山麓の赤谷という地にあった日鉄という会社に属する鉱業所の集落に設けられた診療所で,医師と私より10歳位年上の看護婦Yさんが勤務していた.Yさんは戦時中は大陸にも転戦したバリバリの日赤出身ナースで,慎み深く行き届いた人であったが,腕と度胸のアネゴでもあった.
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