特集 病院におけるボランティア・ワーク
当院のボランティア・ワーク
中鉢 美津子
1
,
長 洋
2
,
山本 治子
3
,
蜂谷 貞之助
4
,
高橋 百合子
5
,
石井 美枝子
6
,
衛藤 幹子
7
,
伊藤 国彦
8
,
鎮西 淳子
9
,
成田 稔
10
,
中村 保
10
,
中村 仁一
11
,
林 治子
12
Mitsuko CHUBACHI
1
,
Hiroshi OSA
2
,
Haruko YAMAMOTO
3
,
Sadanosuke HACHIYA
4
,
Yuriko TAKAHASHI
5
,
Mieko ISHII
6
,
Mikiko ETOH
7
,
Kunihiko ITOH
8
,
Junko CHINZEI
9
,
Minoru NARITA
10
,
Tamotsu NAKAMURA
10
,
Jinichi NAKAMURA
11
,
Haruko HAYASHI
12
1慶応義塾大学病院看護部
2前橋赤十字病院
3聖隷三方原病院相談室
4和歌山労災病院事務局
5東京衛生病院
6東京衛生病院内科
7伊藤病院相談室
8伊藤病院
9社会福祉法人三井記念病院医療相談室
10国立療養所多磨全生園
11財団法人高雄病院
12淀川キリスト教病院看護部
pp.109-122
発行日 1987年2月1日
Published Date 1987/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541208995
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慶応大学病院におけるボランティア・ワーク
開始時の困難を乗り越え,定着した活動
ボランティア受入れを始めたころ
当院で,ボランティアを受け入れることができたのは,1970年(昭和45年)アメリカのロスアンゼルスにおいて,国際ボランティア教育者会議が開催された時,当院の元整形外科部長岩原寅猪先生の計らいで,平松キツ子婦長が出席したことに始まる.その後,大阪で開催された第1回日本病院ボランティア大会(会長故広瀬夫佐子先生)にも同婦長が参加するなどの経過があった.
昭和48年,東京YWCAでボランティアビュローが開設され,当院にその受入れのご依頼があり,快諾した.ところが当時は,病院の看護婦不足が深刻な問題で,当院でも労使間の激しい交渉が繰り返されており,ボランティアの導入についても一部の職員は,「看護婦不足の代替ではないか」等の疑問を持っていた.こうした拒否的なムードがあったため,その説得が必要であった.
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