人
"土着の医療"に生きる名コンビ 堀川病院 竹澤徳敬院長と早川一光副院長
中野 進
1
1京都四条病院
pp.480
発行日 1982年6月1日
Published Date 1982/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207752
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お2人のどんなお写真が出るか,楽しみである.
共に京都医療界において著明人である.竹沢徳敬(のりひろ)先生は京都に生まれ(明治38),府立医大卒(昭和4),耳鼻科に入局する.戦時中マレー,フィリッピン,北満に転戦した.そして戦後母校の女子医専教授となる.まもなく"反共イールズ声明"反対闘争が巻き起こり,その結果職を辞し開業した.それからの活動がすさまじい.保険医協会,府医師会の役職のかたわら,医学ロシヤ語普及活動,歌集「建仁寺」「火焔樹」,「ソビエト耳鼻咽喉科学(扁桃篇)」の出版となる.だが氏は書斎派でなく,感激に基づく行動の人,つまり戦闘的詩人である.昭和31年健保改悪反対運動の指導者となり,京都府医師会は保険医総辞退突入へと進む.それが引き金となり全国医師3万人の辞退へと広がる.「諸君!諸君!我々はルビコン河を渡った……」の大演説は今も語り草となる.それから10年余りして京都私立病院協会2代目会長となり今に至るが,京都の病院関係者の尊敬を一身に集めている.私はその副会長として近くにいる故,恩恵と被害をモロに受けている.先生とのお付合いは30年を越す.そして詩人・学者・医者を具現する"竹沢徳敬"に深い尊敬と愛情を持ち続けている.
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