新 病院建築・53
倉敷中央病院の設計
辻野 純徳
1
1浦辺建築事務所
pp.441-450
発行日 1982年5月1日
Published Date 1982/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207747
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病院の沿革
倉敷中央病院は1923年(大正12年)6月2日,その主要部の完成をもって開院(83床),同年8月第8病舎(隔離),翌13年に4,5,6,7病舎を完成して220床の総合病院となり,15年には研究室(製剤・化学・病理・細菌・生理・図書)の完成で延10,187m2(46.3m2/床)の偉容を備えて,その当初計画を完了した.
本院設立の背景には設立者大原孫三郎と岡山孤児院長石井十次との親交があり,それにより高められた人道主義の証でもあった.「余がこの資産を与えられたのは余の為にあらず,世界の為である.余はその世界に与えられた金を以て,神の御心に依り働く者である」と1902年の日記に記した大原は,倉紡社長に就任(1906)するやすぐ,それまでの飯場的な工場寄宿舎を改め家族的な分散寄宿舎とし,1914年には大原奨農会農業研究所(現岡山大学農業生物研究所)を小作人への地主の責務として設立した.石井十次没後,その事業を承け継いだ大原は,1917年その一つ当時カンテキ裏と呼ばれた大阪愛染橋附近の貧困者救済事業を石井記念愛染園と改め従来の夜学校(教育),託児所(就働のため—現愛染橋保育所)の活動に,診療所(現・付属愛染橋病院)を加えた.
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