病院建築・61
倉敷市立児島市民病院の設計
庄司 和彦
1
1岡田新一設計事務所
pp.79-83
発行日 1974年3月1日
Published Date 1974/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205307
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風土との出会い
倉敷市児島地区は旧倉敷地区から南へ25kmほど下った瀬戸内の海岸地帯,福南山の峠によってかつて明確なテリトリーを形成していた海辺の街である.おなじみの鷲羽山をはじめとする周囲の山々,箱庭のように続く島影に囲まれ,広大な海岸線に沿って累々と連なる流下式塩田の櫓(ヤグラ)が乾ききった砂地にくっきりと影を落としている.
周知のように瀬戸内沿岸は,これまで開発の波に洗いつくされ,公害の防止と環境保存が問われて政治的,経済的にダイナミックな展開を見せてきた.開発による工業化,そしてそのための自然の破壊という高い代価を払いながら文化施設,福祉施設を中心とした町造りによって時代に対応した変身をはかるというパターンは,瀬戸内海周辺の都市がここ十数年の間にくりかえしてきたプロセスである.その両極は,歴史的な町並みを保存する旧倉敷と,夜間でも煌々と明かりや焔を海へ映すコンビナートをひかえた水島によってあらわされるのだが,そのような形での二者択一ではなく,両者をどのように融合させるかが,少なくとも,個々のプロジェクトにも求められる問題点であろう.
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