グラフ
5年間で再建—改革—拡張—十和田市立中央病院
pp.642-647
発行日 1981年8月1日
Published Date 1981/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207524
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モニュメント「早蕨」の作者佐藤忠良氏は,昨年5月,新装なった病院の落成式と兼ねた像の除幕にあたって次のように述べている.「…あんなものを建てるなら救急車のたしにしたり,医療機器を買うのにまわしたほうがいいんじゃないか,と思われる方もいらっしゃるんじゃないか…無駄といえばこれほど無駄なものはないだろうと思うんです.しかし,私は対抗できないにしても,その分だけそれに答えられるものを作りたいと努力したつもりです.」その言葉のとおり,さわやかな躍動に満ちた肢体は,再生した病院の未来への希望と,六万十和田市民の健康のシンボルとなっている.今春には,国立ロダン美術館で開かれた作者の個展のためパリに渡った.
本病院が累積赤字約3億円を抱え,303床に医師は唯一人だけという崩壊寸前の状態から,今日の近代病院へ生まれ変わった経緯については,増改築を中心に既に本誌で詳述された(末武保政:モニュメント「早蕨」の下で.40巻2号,114-117頁,1981).赴任以来5年間にわたる再建の跡を振り返って,末武院長は「試行錯誤の繰り返しであったが,それは病院管理学そのものの実践であったようだ」と述懐する.
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