いま民間病院は
京浜病院の運営と活動—倫理観を基盤にしつつ最新知識の開発と導入を願う
熊谷 頼明
1
1京浜病院
pp.1090-1092
発行日 1980年12月1日
Published Date 1980/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541207339
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
当院の概況
東京の羽田空港から約2キロメートルほど北へ向かった産業道路沿いの所に,京浜病院が創立してから,はや40年を経た.総建坪2,400m2で地上6階,地下2階の建物で,ベッド数95床,内科,消化器科,循環器科,外科,脳外科,整形外科等を中心として一日外来患者数約350名,職員数約100名足らずの病院である.昭和11年に,父熊谷千代丸がここに病院を始めた時,健康保険を中心として診療することにしたのであったが,当時は保険お断りといった病院が格が高いとされていただけに,少しく珍しい存在であったように思う.また昭和26年の医療法人制度の発足とか,日本病院協会を発足させる原動力的な役割を父が果たしため,当時財産帰趨権の問題から一般の人が踏み切れなかった医療法人の第2号(1号は昭和医大)になった.
残念ながら父が昭和31年に急逝した後は,工学界にて自動制御の研究家の道を歩んでいた私と,同じく造船界にいた弟とが,急拠医学校に入学して父のあとを継がざるを得なかったことは我が病院にとっても思いもかけない不幸な出来事であった.そして父ほどの力量のない不肖の息子たちは,その後病院を大して発展させてはいないのである.
Copyright © 1980, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.