看護婦長日誌
脳神経外科病棟
前川 祥子
1
1奈良県立医科大学附属病院
pp.72
発行日 1977年6月1日
Published Date 1977/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206258
- 有料閲覧
- 文献概要
上に立つことの脳み
3月〇日
天幕メニンジオーマ全別術後の患者のNCU (重症部屋)への受入れと,他院より転送されてきたくも膜下出血患者の緊急検査・緊急手術への送り出しとの重なった,戦場のような忙しさからようやく解放されて,宿舎に帰る途中ふと立ち止まり南西の空を眺めると,民家の薄明りの向こうに畝傍山が夕闇の中に黒々と沈んでいるのが見える.大和三山に囲まれた橿原市は,大都会に比べるとまだ田舎で,振り返ると病院は静寂の中にひっそりと,明かるく浮かび上がっている.近頃は年のせいか,よく過ぎし日の諸々の事柄が脳裡をよぎる.
忙しさと言えば,戦時中の陸軍病院勤務では,朝から晩までこまねずみのように働きづめで,宿舎に帰ってごろん,グーと寝た途端,次の朝の勤務が始まっていた.現在のナースにあのような過酷な勤務をさせたら,組合からは突き上げられるだろうし,またナース自身も2日と身体が持たないだろうな,と苦笑する.戦後,婦長になるのが嫌さに国立病院からこの奈良医大病院に転じたが,皮肉なことに数年たたぬ間に婦長に任命され,整形外科病棟より35年4月以降は脳外科病棟勤務となり,管理能力のない私は多くの人たちに助けられながら無我夢中で今日まで過ごしてきたのである.
Copyright © 1977, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.