医療への提言・8
医療のタテ社会的要素(II)
水野 肇
pp.71-74
発行日 1977年2月1日
Published Date 1977/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541206160
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"全力投球"を要求される医師
「医療」のなかには,論理だけで割り切れないものが存在していることを前回指摘した.それは,ある場合には,科学プラスアルファと呼ばれたり,別の見方をすれば,プラシーボや自然治癒,あるいは医師と患者の人間関係のなかに,それが存在しているともいえる.こういったものを医療のタテ的な要素と呼ぶことができるのではないかと思う.私自身の考えをいわせてもらえば,医療の場合,どうもこのタテ的な要素が"核"のようになっているように思える.すべてのことには,多かれ少なかれタテ的要素がからんでいるのは事実だろうが,多くのことは論理で割り切ることができる.別のいい方をすれば,契約社会的なものとしで割り切れる.
医療の場合も,医師の側から,医学を科学と規定して,その範囲内だけの論理で割り切れば,それほどなまぐさい,ぎらぎらしたものにはならない,たとえば,コンピュータ診断で,コンピュータのはじきだした数値が現代医学の限界だと考えれば,割にらくに診断をつけることができる.その範囲を越えたものは,致し方ないのだと思えば,なやみは少ない.ところが,医療がややこしくなるのは,いつの場含でも"全力投球"を医師に要求されることである.全力投球はできる範囲以上のものを期待されることもある.しかし,科学の世界では,できるものとできないものとの間には厳然として区別がある.そこを区別があるとは,なかなかいえないわけである.
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