一頁評論
看護婦不足に想う
弓削 経一
1
1京都市立病院
pp.49
発行日 1976年5月1日
Published Date 1976/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205898
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毎年繰り返していることであるが,2月,3月の年度末になると,私は,こけし人形を作るように看護婦を作ることができたらなあ,と思う.6月,12月のボーナス期を中心として,看護婦数はだんだん減ってきて,ついに2月,3月となると,もはやニツパチ制は支えきれなくなり,あちらこちらの病棟で訪れるたびに,どうしてくれるつもりかと,詰め寄られるのである.
われわれの病院では,毎年4月初めに退職者数をカバーすることができるように,ニッパチ制定員よりも多く採用し,昭和50年度は極力中途採用も行って,危機を回避するように計ってきた.ただし,これとても採用に応じてくる看護婦数は辛うじて必要を充たしうる程度(定員超過数49年度31名,50年度57名)で,年度末には,すり減ってしまうのである,しかも,少なくとも初秋までは必要な病棟には3人夜勤を配り,また医師の求あるままに重症者,手術患者を入れてきた反動で,年度末の病棟は恐慌状態を呈するに到るのである.まだ病棟閉鎖に到らないのは幸いであるが,代替的にごきぶり退治をやったこともあり,壁の塗りかえを計画したこともある.
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