人
西日本広域医療センターを推進する 国立長崎中央病院長・横内寛氏
小路 敏彦
1
1長崎大学医学部第一内科
pp.16
発行日 1976年5月1日
Published Date 1976/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205890
- 有料閲覧
- 文献概要
とにかく若い.たえず考え,たえず動きまわって年をとる暇がないのであろう.白晳の額の下に理知的な瞳が時折キラリと光る.岡山の産.新劇の垂見吾郎氏とは小学校時代の竹馬の友.昭和26年長崎医大卒.以後第一内科(現高岡善人教授)で臨床一筋.44年助教授(長崎大保健管理センター所長)から42歳の若さで700床の大病院長に赴任した時は,周囲が一様に驚きの眼をみはったものである.以来6年有余,その足跡は凄まじいの一語に尽きる.多年暖めてきた"医療"への理念と実践のエネルギーが一挙に爆発したとしかいいようがない.診療,教育,研究の3本柱を打ちたてる一方,各科医師,看護婦,技師らを網羅しての"チーム医療"を推進,僻地医療(50年僻地中核病院指定),研究の拡張(51年難病基幹施設指定),大学教育病院としての機能的位置づけ,パラメディカルの充実等々......矢継早やに実績をあげ,今や長崎県はおろか西日本における広域医療センターとしての不動の地位を獲得している.
性格は明朗濶達,斗酒なお辞せぬ酒豪でもある.口癖は「世界的視野で五十年,百年後の医療を見つめ,たえず先手,先手と対応すること」.一度語れば医学はもちろん,文学,時事,経済何でもござれで談論風発尽きるところを知らない.半面情に厚く,兄事した先輩の遺族の世話に寝食を忘れ,困っている後輩のために身銭をきることも一再でない.
Copyright © 1976, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.