人
脳卒中の診療と研究に情熱を燃やして 脳血管研究所美原記念病院院長・美原博氏
大根田 玄寿
1
1群馬大医学部病理
pp.20
発行日 1975年10月1日
Published Date 1975/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205721
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彼のしけた顔を見たことがない.それも,彼が金沢の四高を出て,慶大医学部でクラスメイトとなってからだから,ずいぶん長い間のことである.卒業後ただちに慶大内科に入局したのが昭和15年の春.ほどなく短現の軍医として海軍に行き,終戦後まもなく郷里の伊勢崎に復員したが,医師であった尊父は脳卒中で逝去されたことを知り,慶大内科にもどることができなくなり,家業を継いだ.そして彼の美原診療所時代が始まった.この間における特色は,患者数がものすごく多く,そのほとんどが脳卒中で,しかも死亡患者の大多数が剖検されたことである.ちなみにそのころ群大病理の年間剖検体数約250例のうちの約40例が彼のところからの脳卒中であった.そして昭和38年10月,脳卒中の診療は設備が整った病院で積極的に行うべきであるという理念と,脳血管障害の本態を臨床各科と基礎医学の各部門の総合力で探究せんとする使命のもとで,武見医師会長の心からの応援もあって,財団法人脳血管研究所付属美原記念病院を設立した.尊父の遺業を記念しての命名である.現在,年間約500例の新鮮脳卒中を診療し,内科的療法とあわせて脳外科的手術をも行い,剖検率は85%,国際的にも高く評価されたすぐれた研究業績をぞくぞくと発表している.なんといっても,世界一の脳卒中国であるわが国に,初めて脳卒中専門病院を創立した偉業は気宇壮大で,彼の卓越した人柄と不断の努力の結晶である.
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