特集 事例からみた労働問題
事例
ニッパチ闘争がめざすもの—‘夜勤’から‘日勤’のたたかいへ
横山 広
1
1新潟県職員労働組合医療部
pp.36-39
発行日 1974年2月1日
Published Date 1974/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205267
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はじめに
いまから6年前のいまごろ,私はどんなことをしていたか——医学書院の寄稿依頼にペンをとる前に考えた.そういえば,あとで‘ニッパチ’と名付けられた看護婦夜勤制限闘争のことで頭がいっぱいだったことを思い出す.日本医労協結成10周年記念レセプションに出席し,"必ずやる"と吹いたがだれも本気にしてくれなかった.夜行で新潟ヘトンボ帰り,途中駅所在の県立病院へ朝早く降り,雪のふりしきる夜勤の病棟をたずね,ストーブに暖めてもらいながら1週間後に報告の原稿を書いていた.たたかいの成否は,その集会にかけられていた.私は,祈る思いで原稿を書いた.
あれから,6年経った.私は,それ以来,この運動について責任をもって活動してきた.この一文は,そうした活動をしてきたものの所感として,随想のつもりで読んでいただければ幸いなのである.
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