ホスピタル・マンパワー
義眼作製35年のキャリアをもつ人間国宝的存在—国立東京第一病院写真室勤務 松木 才助氏
山下 九三夫
1
1国立東京第一病院麻酔科
pp.92
発行日 1973年9月1日
Published Date 1973/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541205112
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最近医師の技術評価を高くするよう朝野の声が高まっている.医師以外にも,高い技術を誇っている人が数多い.私がここに紹介する国立東京第一病院写真室の松木才助氏もその1人である.写真室勤務という以上,医学写真がその本業であって,顕微鏡写真や手術・解剖時の写真,摘出標本や患者のカラー写真などに多忙の毎日のようだ.実はこの本業は趣味で始めて20年の年期がはいっている.各医師の学会が近づくとそのスライド作りに大わらわであり,氏自身も医学写真の研究発表6回に及んでいる.しかし氏の本当の仕事はその道35年の義眼作製なので,いわば国宝的技術をもっている義眼師なのである.生れながらの無眼球や,眼球萎縮の患者,戦傷や外傷で失明した人びとに明るい希望・光明を与えている職業といえよう.
義眼は古くは木製,金属,貝殻などを加工して作っていた.18世紀の始めごろフランスでガラス製の義眼が発明され,その後ドイツのミューラー氏が,1898年当時としては非常に精巧なガラス製義眼を製作発表した.わが国では大正初期大阪で高橋為春氏,ついで支那事変当時の厚沢銀次郎氏,人形義眼の研究から戦争失明者の義眼作製のため臨時東京第一陸軍病院(現国立東京第一病院)に招かれた駒沢勉氏,義眼材料研究の大島亀吉氏に技術が伝わり,松木才助氏に伝承されているわけである.
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