海外事情
アメリカ滯在1年間(Ⅱ)
山村 好弘
1
1国立療養所刀根山病院
pp.305-307
発行日 1960年4月1日
Published Date 1960/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201647
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私はこのアメリカ滞在中に多くの友人が出来ました。1人はドイツのフライプルグ大学の公衆衛生研究所からやつて来たドクター・オツテン,彼はドイツ人特有の融通のきかない石頭の持主ですが親切で真面目な男。実験は極めて正確そのものにがつちりと,時計の針の如くやります。概してドイツ人は日本人には親切で,よく第二次大戦中や,戦後の生活の苦しかつた事を話し,お互に敗戦国の条件は同じであるということを知りました。この連中のユダヤ人嫌いは徹底しており又日本人はアックスだといつて,特に仲よくしてくれます。次はスイス人のピーター・ミユーラー,彼は実に純情な男。一般にスイスとスカンジナビヤの系統は,感覚がインターナシヨナルで,人種的差別がなく,平和を愛し,人間は善良です。「日本の平和憲法には心から敬意を表する」と常に語つていました。私のプワフェッサーのブロツホもスイス人で,スマートな紳土,しかし,心底をながれる精神は実にしつかりしています。頭脳も良好,自らアイデアを出し,自ら試験管を握つて実験を行い,我々の意見もよく聞きます。私が「日本では研究費も設備もなく,実験はやりにくい」というと,「ブレインは同じだ」といつて,いつも励ましてくれました。彼はまた「刀根山病院の空洞の仕事は実にワンダフルだ」といつて敬意を表していました。
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