海外事情
アメリカ滯在1年間(1)
山村 好弘
1
1国立療養所刀根山病院
pp.219-222
発行日 1960年3月1日
Published Date 1960/3/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201635
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
このたび,私は科学技術庁派遣原子力関係留学生として,一昨年日本を出発,アメリカ合衆国ピッツバーグ大学医学部細菌学教室にて,1カ年間アイソトープを使用して結核病学の研究に従事しておりましたが,昨年9月25日空路羽田に帰国いたしました。その間厚生省国立療養所課及び科学技術庁原子力局ならびに私の所属しております国立療養所刀根山病院の方々に一方ならぬお世話になり,厚く御礼申し上げますとともに,私の見聞いたしましたアメリカ台衆国及びカナダにつきまして,拙文ながら御報告申し上げます。
昭和33年8月31日出発予定の私の乗つた日航機ダグラスDC−7Cは約4時間遅れて9月1日午前2時雨雲をついて羽田を離陸,14時間の洋上飛行ののちハワイに到着しました。途中の太平洋上は日本近海に雨雲があり,出発して間もなく1時間はがぶられ通しでしたが,やがて快晴となり,夜が明けるとコバルト色の太平洋上を快晴にめぐまれて高度5,000米で飛行,ホノルルに着陸しました。時刻はハワイ時刻の午後8時30分,但し私の時計は日本時間の午後3時30分,おまけに1日わかくなつて8月31日です。飛行機から降り立つとさつと花の香をふくんだ微風が頬をかすめ,飛行場のはしには,いたる所に椰子が茂り,美人のスチュアーデスのかけてくれるレイを首に,常春の国に来たという感じがします。ここで税関,検疫,入国検査を済ませ,その夜はハワイで1泊。
Copyright © 1960, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.