病院長プロフイル・39
社会保険中央病院長八田善之進先生
pp.44
発行日 1956年12月1日
Published Date 1956/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541201176
- 有料閲覧
- 文献概要
夏といわず冬といわず毎朝診療開始前に登院してねむけ眼の当直医員をあわてさせる院長というものはそう多くはあるまい。生来の几帳面さがさせることではあろうが,福井県に生れ四高を経て明治42年東大医学部卒と共に生化学教室に入られ,時の隈川教授のもとで生化学の研究に没頭された。数年間に物事の正確さということを主んずることは生化学を通じて磨きがかけられたことと思われる。後青山胤通先生のもとに臨床内科を専攻されここで又更に人としての頑健さを体得されたことと思われる。だからがつちりした心のある几帳面さである。大正6年から時の名古屋医大に教鞭をとられたが,大正8年後を現勝沼精蔵学長に譲つて宮内省侍医を拝命され時の皇太子殿下付となられ昭和12年皇太子殿下御渡欧に側近として供奉され,宮内省侍医頭を経て終戦後宮内省御用掛となられる迄20数年間常に現天皇陛下の侍医として側近にあり,陛下の健康方面に就いては勿論精神的方面に於ても蔭の力として尽された医人としての力量に就いては華々しくはないだけに日本に於て余り知られていないことではあるが,言葉少なに時々洩らされる憶出話の間から泌々感じさせられることであり,日本にとつて真に幸福なことであつたと思われる。
Copyright © 1956, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.