病院長プロフイル・11
温情にして格勤の士内田三千太郞氏(東京都立豊島病院長)
pp.22
発行日 1954年4月1日
Published Date 1954/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200796
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少し古い人なら誰でも知つていることであるが,相対性県理をアインシユタイン博士が発表した時の世間の驚きは,原爆の発見にも比すべき感動を全世界に与えたものである。博士は日本にも来られ,熱狂的な歓迎を受けられたが,共頃ア博士と瓜二つの青年医学徒が黙々として研究にいそしんでいた。外ならぬ内田三千太郎先生で直ちに和製アインシユタインの偉名が奉られたのである
内田先生は体躯,容貌(特に頭髪)ばかりでなく真摯な研究態度が如何にもアインシユタイン博士を連想するに足るものであつた。新潟医大の前身たる医専の第一回卒業生で,直ちに細菌術生学教室に入つて宮路教授に師事され,続いて北里研究所,熊本のリデル女史の癩研究室,警視庁細菌検査所と転ずるうち鼡癩の動物移植の研究を完成され,其後慶応の内科で臨床を学ばれたのである。
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