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■政治=内閣主導体制への改革と実態
9月11日に投開票された衆議院総選挙で自民党は296議席を得た.連立を組む公明党の議席を合わせるならば,政権与党の議席は衆議院定数の3分の2を超える.この総選挙の結果,首相の政治的影響力が各段に高まることは否めない.
しかし,日本の首相は制度上からみると政策決定に「絶大」な権限を持つものではない.1990年代初頭より政官関係の見直しが議論されてきた.つまり,官僚主導の政策決定を政治=内閣主導へと転換することが,国内・国際的に政治・経済・行政環境の激動の時代に問われているとするものである.確かに,官僚機構の部局・特定の利益の代理人というべき族議員集団・利益集団が結託した「鉄の三角形」が無数に作られており,政治=内閣主導の政策決定システムを必要としていよう.
戦後日本の内閣運営の原則とされてきたのは,首相指導の原則,合議制の原則,所轄の原則の三つである.首相指導の原則とは首相に閣僚の任免権があることを意味する.合議制の原則とは内閣の意思決定は合議によるとするものである.所轄の原則とは首相および閣僚は,それぞれ主任の大臣として府・省を所轄するというものである.
一見,首相指導の原則が最も上位の規範のように思えようが,内閣運営のベースを形づくってきたのは所轄の原則である.内閣法および国家行政組織法は,府(2000年までは総理府)省は,それぞれ主任の大臣である国務大臣によって所轄されるとしてきた.したがって,首相が主任の大臣であるのは総理府のみであり,他の省に指揮権は及ばないとされた.この原則をベースにするから合議制の原則は閣僚の全員一致が実際となる.そして首相に閣僚の任免権があるとはいえ,次々と閣僚を罷免し入れ替えることは政治的に不可能である.
ここに,官僚機構の影響力強化と各省割拠体制の重要な原因がある.橋本龍太郎政権による行政改革会議の最終報告を受けた2001年1月の行政改革は,こうした問題状況に幾つかの改革の手を加えた.第1は,内閣法の改正である.従来,内閣法第4条2項は「閣議は,内閣総理大臣がこれを主宰する」との簡潔な条文にとどまっていたが,これに「この場合において,内閣総理大臣は,内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件を発議できる」なる一文を加え,首相の発議権を法制化した.内閣法第6条が「内閣総理大臣は,閣議にかけて決定した方針に基づいて,行政各部を指揮監督できる」と従来から規定しているから,内閣法第4条2項の改正によって,首相は初めて省に対する指揮監督権を条件付ながら入手したことになる.
第2は,国家行政組織法に基づく総理府を廃止し,新たに内閣府設置法に基づく内閣府を設置し,首相および内閣の補佐機構を作ったことである.とりわけ,内閣府には経済財政諮問会議など四つの民間議員を含めた政策立案機関がつくられた.
第3は,内閣府および省庁(庁は防衛庁のみ)に複数の副大臣ならびに大臣政務官職を設け,政権チームを配置することによって内閣の意思の浸透体制を作ったことである.
確かに,これらの改革は政治=内閣主導体制の構築に一歩近づくものと評価してよい.けれども,主任の大臣制による所轄の原則には変更が加えられていない.首相が主任の大臣であるのは内閣府のみであり,他省はそれぞれ主任の大臣である国務大臣によって所轄される.筆者は従来から内閣法第4条の改正ではなく,第6条の条文から「閣議にかけて決定した方針に基づいて」の一文を削除すべきだと述べてきたが,それは実現をみていない.また,副大臣の設置は評価し得るのだが,副大臣は閣議決定案件になんらの権限ももっていない.閣議提出案件は閣議の前日に内閣官房副長官(事務)の主宰する事務次官会議において調整・決定されている.事務次官はいうまでもなく職業公務員の最高ポストである.しかも事務次官会議は明治以来慣行として設けられてきただけで,法的根拠を持つものではない.副大臣会議も内閣官房副長官(政務)のもとに設けられているが,それは閣議提出案件の手続きからは除外されているのである.
政治=内閣主導の政策決定といっても,このような制度状況が実態である.それゆえに,各省分立体制のもとで職業公務員なかんずく幹部(この意味で「官僚」なる言葉を使う)の影響力は依然大きく,透明性や責任の所在をめぐる問題がたえず指摘されることになる.
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