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はじめに
理学療法の良性筋骨格系疾患に対する主な治療目的は痛みの緩和,可動域の改善および筋力増強の3つである.通常,痛み,可動域制限および筋力低下は相互に関係しあいながら運動障害を起こすことがほとんどなので,その運動障害因子をそれぞれ切り離して対処することは困難である.
整形外科外来において,筋骨格系異常の訴えで一般的なものは痛み,運動または感覚の麻痺および変形であると言われるが1),その中でも痛みの発現またはその持続により身体の異常を感じ,病院を訪れる頻度が最も高いのではないか.痛みの緩和は医療の原点であるにもかかわらず,その研究は求心系の各ステップの性質を明らかにしていくこととともに,侵害受容系によって駆動される各種の反射,またその結果生ずる感覚系への変容作用をも解明していかねばならないと重荷を課せられているという点から2),現代医学においていまだ未解明なものである.
しかし,理学療法が物理的刺激を皮膚,筋肉,関節およびその周辺組織などに与え,それらの受容器を興奮させることによる生体反応(反射)を用いて生体機能の調節を行うものであるから,痛みにより引き起こされる反応に限らず,それらの解剖・生理的な機構・機序は運動機能およびその運動機能阻害因子を解釈するうえで必要なものとなる.
歴史的に,西洋では徒手療法を20世紀に入って理学療法分野に紹介し,強い影響を与えたのはイギリスのSt. Thomas's Hospitalの整形外科医であったJ.B. Mennellである.彼は英国理学療法協会のChairmanを多年にわたり務めるかたわら,徒手療法の普及にも力を注いだ.彼の勤務した病院における徒手療法の研修コースはJ.B. Mennellの後任者であるJames Cyriaxにより受け継がれ,J.B. Mennellの方法が経験的であったものが理論的に移っていったとされる.ノルウェーの理学療法士であるF. Kaltenbornは1952年St. Thomas's HospitalでJ. Cyriaxのもとで数ヵ月の研修を受け,徒手療法の関節力学的な面からの治療法を提唱した.同年,St. Thomas's Hospitalの理学療法士であったJ. Hicklingは,徒手療法に興味を示したニュージーランドで講義と実技のデモンストレーションを行っている3,4).現在の整形徒手療法の基盤ができはじめた時代である.F.Kaltenbornはオステオパシー,カイロプラクティクおよび整形医学よりの理論・手技を取り入れ,ヨーロッパの理学療法に多大な影響を与えた.
その後,関節力学的な理論に加えて神経生理学的な理論が整形徒手療法に取り入れられてきた.それは生体力学的な解釈によることのみでは筋骨格系疾患に対処するうえで困難が生じてきたからである5).そこでG.D. Maitlandらが,現在,国際的に普及を示している関節機能不全の異常程度による段階分けされた振幅他動運動を主に用いることにより神経生理学的効果を期待する方法を取り入れる方向に徒手療法が進んだものと解釈される.振幅他動運動に類似した手技は19世紀から用いられていた.1938年フランスのSeguinによりリズミカルな振動法が急性斜頸に用いられた.徒手振動法がスウェーデンの理学療法士であるKellgreと英国の医師Edgar Cyriaxによりさまざまな疾患に用いられた.しかし,それらの手技は十分な効果を得るに至らなかったとされる3).現在,整形徒手療法は国際整形徒手療法士連盟(Internatinal Federation of Orthopedic Manipulative Therapist)により表1のごとく分類されている.
中国における徒手療法が日常施行されたのは遠く三国時代(220~265AD)にさかのぼる.この時代にはマッサージとマニピュレーションが用いられ,この時代より自動運動療法,マッサージ,マニピュレーションおよび指圧の発展があった.唐時代(618~907AD)にはそれらの治療法が最盛期となり,徒手療法が完成された.1958年以降これらの研究も進められている6).
本邦においては,中国医学の影響下にあった古代・中世・近世を経て,近代西洋医学の影響を受けてきた.西暦701年に定められた「大法令」の要約が,養老律令が制定された718年に行われ,専門職として「按摩」の官職が定められた.その後,中国または西洋の影響を受けながら,日本固有の徒手による治療法が武術家を中心として展開していった.そして,1746年に本邦最初の骨折脱臼治療学の単行本としての「骨継療法重宝記」が出版され,1808年には筋骨格系疾患に対する徒手療法の完成をみる二宮彦可著の中国むけに書かれたとされる「正骨範」が出版された.以後,西洋医学の影響が強く現れるなかで,明治18年に「整骨医」と「整骨師」が試験により分けられて現在の整形外科と柔道整復に移り変わってきた7).江戸時代に完成された本邦の徒手療法は柔道家を介して諸外国に紹介されたとされる8).その徒手療法が本邦において医学の枠内で発展しなかったことは残念であるが,その理由に“家系伝承”と“医学的検索の欠如”が掲げられる.
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