とびら
普通の知識
武富 由雄
1
1大阪大学医学部付属病院
pp.139
発行日 1979年3月15日
Published Date 1979/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518101859
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That is a matter of common sense.そんなことは常識(分かりきった事)だ.世の中の人は自分の常識の判断で,その意味が吟味されないままに,先入観念として事を捉えることがよくある.例をひくまでもなく,16世紀のコペルニクスが地動説を唱えるまで当時の人々には大地は静止して,すべての天体が地球の周りを回っていたと思いこんでいた.われわれの日常茶飯事にあることがらをよく見極める必要がある.
知らなかったのだと言われればそれまでだが,文化の違った国の人々の常識と日本人である私の常識とが違っていることが,異国で生活して痛切に感じた.開発途上国に赴き一つの経験をもった.一般には勉強の仕方―新しい知識を学んだり,考えるには帳面に写したり,紙片に書いたりするものである.授業中,現地の研修生に知識の片鱗を紙片に書きとどめておくようにいった.何かモグモグとつぶやいていた.私には先ず,書く紙がそこいらにあることが当然のことと思っていた.着任してまだ間が無く,その国の事情も分からなかった.ある研修生は病院の患者のためになる勉強をするのであるから病院からノートや紙類が支給されてしかるべきだと事務局に請求しに行った.それも煩雑な手続を経て紙はようやく手に入った.やっとのことで教えた事を記した.私の普通の知識で物事をきめつけ事を進めていたつまづきの始めであった.紙が無ければ頭の中に記憶するやり方があるのに.その他多くの違った生活上の常識があるのに気付き始めた.
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