とびら
学会と私
関 昌家
1
1財団法人花園病院
pp.738-739
発行日 1976年10月15日
Published Date 1976/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518101314
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「学会」現在の私にとりまして,何かおさえがたい,一種独特の不安定な気分と安堵の気持とを交錯させながら蘇えってくる言葉です.その感情をありのままに表現してみようとしますと,私共が山梨県において学会を開催してほしいと連絡を受けましたのは確か一昨年の秋頃だったと思います.ある日,突然にという表現がピッタリの電話で「四国で予定していた学会を山梨でやってくれないか」といった内容だったと思います.その時,私自身の頭の中では「いやだな」と感じたことを思い出します.「できることなら断わりたい」と考え,電話を受けたその足で,院長室に相談に行きますと,「山梨はO.T.R.は何名」と言われ,「12~13名程」「少ないな」「金は集められるか」「わかりません」「少し早すぎる感じだな」「私もそう思いますが・・・・・・.」その後,山梨の協会員が一同に集まることになり,それをきっかけに,OT協会山梨県支部が発足することになりました.初めは「今回の学会は断わろう」という空気が強かったのですが,協会からの再三の要請もあり,いつのまにか,引き受けなければならないのかなという感じになり,協会から説得役で理事の方2名と私と甲州中央温泉病院の斉藤さんの4名での話し合いとなり,山梨の2人は「出来たら断わろう」理事の方は「何とか引き受けさせよう」この差をどうするか,ところが,話しにこられた理事の方が話し上手だったのでしょう.
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