随筆 
                        
                        
                
                  
                  
                  
                  
                            
                                    
                                    
                                    
                                    
                            
                            
                
                
                
                            
                            
                  
                            
                                
                            
                        
                
                
                
                            
                        
                
                
                            
                            
                            
                  
                            
                                    
                                    外国の学会と私
                                    
                                    
                            
                            
                        
                
                
                            
                            
                                
                                    
                                        
                                            
                                                市川 篤二
                                            
                                            1
                                        
                                        
                                        
                                        
                                            
                                        
                                    
                                
                                
                                    
                                
                            
                        
                
                
                
                  1東京大学
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                
                            
                            
                        
                
                            
                            
                        
                
                pp.907-908
                
                
                
                  
                  
              
              
              
                  発行日 1967年10月20日
                  Published Date 1967/10/20
                
                
                
                DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200277
                
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- 文献概要
本年7月ミュンヘンで開かれた国際泌尿器科学会(SIU)第14回会議には,わが国から会員とオブザーバーとで合計30余名が出席したから,学問的な内容については,これら多数の方々から次第に伝えられるであろうから私はそのことには敢て触れないでおく。この会議で次回が1970年東京と決定したのでわが国からの出席会員一同,重荷を感じながらも東洋における近代科学の指導者として本懐の至りと感じたことも亦事実である。わが国の泌尿器科を早く皮膚科と明らかに分離し,国際的水準にひきあげるべく同志と共に永年努力して来た私は,他方においては機会ある毎に外国の学会に出席し,学問の精進に力めると共に,外国の同学の士と知り合うことにも力めた。第2次世界大戦に妨げられて数年間の空白があつたのは残念であるが,こんなことにも熱をあげた一人の男,私の学会遍歴をこの機会に書いてみたい。
1927年に大学を卒業して泌尿器科に志した私は,皮膚科と共存していた当時の教室の在り方に不満を感じつつも1931年には講師として泉橋慈善病院(東大第二医院の後身,三井厚生病院の前身)の皮膚科泌尿器科部長となり,1936年,勤続5年を理由に海外出張の機会を得た。これは病院としての慰労休暇的なもので到底私の希望に叶う留学といつたものではなかつたので,家庭の補助を加え漸く1年間の出張にまでこぎつけた。
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