- 有料閲覧
- 文献概要
昭和49年4月,始めて深刻な患者とのトラブルに巻き込まれ,その残念さ,その不愉快さを身をもつて体験したのであるが,幸いにも完全な解決をみたので,その概略を紹介するとともに,治療を行なう立場にある医師として,いろいろと反省させられた点も多かつたので述べさせて頂く。
患者は,青年男子で,昭和48年2月,慢性副鼻腔炎の診断で左上顎洞篩骨洞根治手術を行ない,術後出血もなく,症状軽快し,2週後退院した。退院後も時に外来に訪れていたが経過は良好であつた。ところが,退院1カ月半後,術側の内皆部の発赤腫脹と流涙を訴え受診した。急性涙嚢炎と思われたので,抗生剤を投与しつつ,経過をみるうちに症状は軽快してきた。それでもし保存的に治らねば,鼻内的に鼻腔涙嚢吻合術を行なう予定であつたが,その後,来院しなくなつたのでもうすつかり治つたものと思つていた。ところが突然,翌年の4月3日,文書で患者の父より医療過誤として多額の賠償の請求をうけたのであつた。私の所にくる患者は,すべて私に全幅の信頼をよせているものと信じ,それに応じるため早朝から深夜まで,できる限りの努力を傾けて,ひたすら診療にうち込んでいた私だけにまつたく晴天の霹靂であり,かなりな精神的ショックをうけた。何かの間違いではないかと問い合わせてみたが,まさしく「その後,涙嚢炎は再発を起こして膿性の流涙があり,仕事もできず,郷里の耳鼻科医で再手術をして貰つたが治らぬので,最初の手術で涙のくだを切つてしまつたお前の責任だ」ということであり,その後も,きわめて強硬な態度で電話や文書で数回にわたり請求をうけた。私も理を尽して症状の起こつた理由を説明し,また,現在の症状は,鼻腔涙嚢吻合術を行なえば治るのだから話し合いたいと申し込んだのであつたが,まつたく受けいれて貰えず,4月20日までに支払わねば訴えるということであつたので,私もついに県医師会を通じて日医の紛争処理委員会に持ちこんだのであつた。
Copyright © 1975, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.