鏡下咡語
二代目の診察室
荻野 巳人
pp.416-417
発行日 1975年6月20日
Published Date 1975/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492208214
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親父が名古屋から当地長野に居を構えたのが昭和の初めであるから今年で50年となる。
私が中学生の頃には八木沢医局時代の話や日赤赴任当時の苦労話をよく聞かされたものである。当時はサルファ剤などもまだ新薬として珍重がられていたから,もちろん抗生剤など今日の様に薬局で素人が自由に!!??買える時代ではなく,「耳鼻科医はメスを毎日握り,奮闘していたのだ……」と。それから私は大学も終わつて医局に入り,休みの時帰郷すると,その日から,さあ外来を,手術を,とシボラレた。「今の若いものは薬に頼り過ぎていかん。また手術もあまりやりたがらない。……」と怒られた。御尤もである,が私にも云い分はあつた。今日の医学や医薬品の進歩もさることながら,社会の仕組み(もちろん保健制度の占める範囲は大きいのだが)が大きく変化したことであると思う。すなわち今日の扁摘の点数と医療事故による賠償が何千万円というこの差の恐怖にあるのではないか,いつたん悲劇の当事者となつたら,老後保障の無い医療界に身を置くものにとつて手術を敬遠するのは無理からぬことである。
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