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十数年まえになるが,濠洲の内科医Francis氏の著「Asthma in relation to nose」を読み,電気焼灼器で鼻中隔粘膜に一すじの軽い焼灼をあたえて気管支喘息を治療する方法を知つた。追試したところ,喘息にもかなり効果があつたが,アレルギー性鼻炎に対しより一層有効であることを発見した。爾来今日に至るまでアレルギー性鼻炎の治療に好んでこの鼻中隔粘膜軽微焼灼療法を用い,ほぼ満足すべき結果を得ている。しかし,いやしくも実証医学を学んだ者のはしくれが,効くからといつて漫然と行なうのはいささか面はゆい。本法の創始者Francis氏はその機転に関して黙して語らない。いろいろ考えてみたら,中国や日本で昔より行なわれてきたお灸の一種だと気づいた。針灸術の機序を解明すれば,本法のmechanismを明らかにすることができる。私が針灸術,ひいては漢方医学に関心を寄せるようになつた由縁である。
病気が重く予後の悪いのを表現するのに「病膏盲に入る」というphraseがある。著明な文化人類学者・石田英一郎氏はその随筆集「東西抄」のなかで,若い学徒が「病コウモウに入る」と読んで「病コウコウに入る」と正しく読めないことを嘆いておられたが,余談はさておき,この諺は「春秋左伝」の記載によれば,BC 581年秦国の名医・緩が招かれて晋国の景公を診察したあと「疾病が膏(心臓下部)の下,盲(横隔膜上部)の上にあり(現代ふうに訳せばinferior part ofmediastinumにあたると思う),灸術や針術を施してもとどかず,薬物も達しないから手おくれである」と宣告したepisodeに由来する。ほかにもいろいろ文献的な証拠,たえとば「史記」におさめられた東洋のHippocratesと称される扁鵲の伝記にもその片鱗をうかがえるのであるが,とにかくこの挿話一つによつても,針灸術が二千数百年前,中国の春秋時代より行なわれていたことは確かである。この古い東洋の医術は20世紀の現在でも行なわれ,巷間よく関節炎・神経痛・喘息に奏効することを耳にする。一見非科学的にしか思えない治療法がかかる長い命脈を保つているのはきつと何かわけがあるに違いない。
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