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耳を犠牲にした芸術家
K
pp.205
発行日 1954年5月20日
Published Date 1954/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492201121
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徳川末期の有名な陶工木米は,耳を犠牲にしてしまつた。この話には心ひかれる。その頃兼葭堂といえば京阪の文人,画家たちの総元締のように幅をきかしていた南画家であるが,木米もしばしば兼葭堂の厄介になつたらしい。三十を過ぎて陶器へ志した木米は,自ら晩学を気にしていたが,一日その製品を目の利いた骨董商に見せたところ,萬暦赤絵の上物と間違えられ,木米も有頂天だつたという。そのことを喜んだ兼葭堂は,木米を下にもおかず歓待したが,ふと「あんたは火加減を耳で聞くさうだが,ほんとうか」と愁わし気に訊いた。そこで木米は,「神樣のさゝやきを聽かうためでございます」と静かに答えた。兼葭堂はびつくりして,壯年の木米を瞠り,「そんなことすると老年には聾になる!」
この戒めも,木米の芸術慾を飜えさせなかつた。案の通り,木米は晩年聾となつて「聾米」とも号したが,その製品は愈々神品と讃えられるに至つた。木米の耳は木米を千古不磨の芸術家に仕上げた。大小に拘らず,犠牲なしには芸術は生れない。
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