巻頭言
科学者と芸術家的精神
吉野 亀三郎
1
1東京大学医科学研究所
pp.249
発行日 1968年12月15日
Published Date 1968/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425902787
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科学者が書く論文というものは芸術家の創作する作品に匹敵するものでなくてはならない。自分の過去の論文のすべてを最高の満足をもつて読みかえすことのできる人は最大に幸福な人と言えよう。しかし多くの人はそうではないだろう。優れた科学者は他人が自分を批判する以上に深く自己批判をするものであるから,万人が気づかないような瑕瑾をも自らの論文に見出して苦しむことが多いだろう。チャイコフスキーが自分の名作「くるみ割り人形組曲」を嫌つたという逸話があるが,そのような極度の潔癖は,他人から見たら異常に見えるかもしれないが,自分の創作を愛しそれに生命を打ち込む人にとつては真剣である。昔の刀鍛治にもそのような職人魂があつたと見えて,作つても気に入らなければ打ち毀すか,もしくは無銘のままにした。その無銘の作が世に名刀としてもてはやされた例も少なくない。陶工柿右衛門の茶碗作りの話もこの同類である。
科学論文の場合,やはり一流大家の論文には寸分ゆるぎない論旨,完全な実験デザイン,必要最小限を提示する簡潔さといつた点で,一種の「美」を感ぜしめるものがある。このような見事なものはその裏に膨大な基礎実験や繰り返し実験などが山のように有るだろうということを直感させて快い。またそのような美しさを感ぜしめるようなデータの提示がないと,如何に重大な結論を含んでいる論文でもその結論に対する不安は除き得ない。
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