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昨年の宿題報告「迷路刺戟とその影響」に就ての學説に對する余の批判
石川 旭丸
1
1大阪鐵道病院耳鼻咽喉科
pp.209-211
発行日 1948年11月1日
Published Date 1948/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492200095
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昨年の宿題報告には勿論良い點もあるので、最初に良い點に就て話し、然る後に聊か疑義のある處を申し上げるのが報告者に對する禮儀でもあり、又順序でもあるかと思ふので、時間其他の都合により良い點は省略し、主として私の了解に苦しむ點のみに就て述べてみたいと思ふ。
先づ第1に、長谷川教授は「迷路とは一體どんなOrganであるか」と云ふ事に關して、最初は生理學的に、終りには生物學的乃至は合目的論的に論述してゐる。斯くの如く一つの事柄を種々の異つた見地から考察する場合には、研究者は一應自己の心的態度を識別してかからないと、其論旨なり云ひ廻し方が如何にも吐撰な印象を受けるのではないかと思ふ。例えば生物學的に一つの器官が如何なる目的を果して居るかを考へる場合には、個體維持に對しては如何、又宗族維持に對しては如何と兩別しで考へるのが至當かと思ふ。何となれば、宗族維持に必要な器官は應々にして個體維持の爲には厄介視されるからである。迷路刺戟によつて子宮運動が亢進し、換言すればVagotonieを發來すると云ふ研究業績等には一應考察論究の要があるのでは無いかと思ふ。
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