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思いつくまま(13)
大熊 博雄
Hiroo OHKUMA
pp.839
発行日 1961年9月1日
Published Date 1961/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491203141
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戦前の東京,特に上野の御徒町周辺には性病診療所の看板が今のテレビのアンテナの様に乱立していたものだ。近頃はあまりみかけないが,先日省線の窓から大きな性病の看板が目に入つた。話し相手のいない電車内の徒然に,性病の看板数の減少経過と性病のそれとを比較してみたら平衡関係になるだろうとつまらぬことを考えたことを思い出す。それにつけても昔の医局時代は主として淋疾の尿道洗滌に明け暮れたもので,外来の処置ベットはこれに占領されていた。入局するとまず洗滌の練習と,横痃手術の助手をさせられたことを思いだす。性病も随分変つたものだとつくづく感じる。
然し半面からみると昨今梅毒では抗療性梅毒などといわれ,特に新しい近頃の現象のようにみられがちだが,昭和4年頃も同じことが言われていた。淋疾でもサルファ剤の出現で淋疾は根絶されるだろうと思われたのに時日を経るに従つて効力が減少して来ている。ペニシリンでも同じ様なことが梅毒や淋病にも言えるようだ。学会雑誌を年次的に繰つてみると砒素剤,サルファ剤,抗生物質のいずれもが,当初は驚異的な効果があり,次にその副作用が論じられ,しばらくして抵抗生が発表されている。その各々が多少の時間の長短はあつても三者が同じ経過を示しているように私には思える。性病が現在では少なくなつたにしろ依然として諸大国でも存在し近年返つて増加の傾向にあると云はれる原因の一つに挙げるのは早計であろうか。
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