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Pfählungsverletzung(刺杭創)の1例
小林 隆
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1新潟大學醫學部泌尿器科教室
pp.539-541
発行日 1953年9月1日
Published Date 1953/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491201038
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1890年Madelungは始めて刺杭創(或は杙穿創)を損傷の特種な型として一般外傷から區別した。次で1905年Stiassnyは,これは挫傷を伴つた複雑な刺傷の一種であり,墜落等に依り杙樣物體に身體が突き刺さる。即ち能動的外傷であると定義を與えて居る。然し1914年Bengschは逆に代樣物體が人間に突き刺さる。即ち受動的の場合も含めるべきだと述べ,彼の報告した5例中には1例の受動的刺杭創が入つて居る。又Lexerの樣に本外傷は會陰部に多いので會陰部のものを完形的刺杭創,その他の部位のものを非定形的刺杭創等と區別して呼ぶ人もあつたが,今日では一般に外傷部位名或は受傷臓器名を附加して呼んで居り特に今日では單に刺杭創と言えば,普通は下腹部のものを指す事に友つている(Madelung,Silbe-rmark)。
扨て,本外傷は白兵戰の盛んであつた昔の戰爭では珍しくはなかつたが,近代戰では少なくなつて來て居り,更に平時に於ては一層少ないものである。私の調査した所では,本邦に於ける報告例は今迄に僅か13例に過ぎない。外國文献に於ては可成り多く見られて居り,1950年Stiassnyはその127例を,1925年Madelungはその276例を文献中より集め報告して居る。しかし,この型の外傷は,實際には一層多いものである筈で,特に重症の症例ではそのまま死亡するので,そのままに葬り去られてしまうものが多い。
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