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海外トピツクス
pp.102-103
発行日 1951年2月1日
Published Date 1951/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200471
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大學における皮膚科的研究
1950年6月25日から26日に亘つてSan FranciscoにおいてSociety for Investigative Dermatologyの第11回總會が開催された。會頭はPennsylvania大學皮膚科梅毒科教授のPillsburyで,學術演説の最初に當つて"大學における皮膚科的研究"と題する講演を行った。その中から興味ある部分を記るしてみる。
過去10年間,特に最近5年間にアメリカにおける醫學研究には重大な變化が起つた。殊に基礎的技術に熟練した醫學者やその他の科學者で,皮膚および他の特殊器官の疾患に關する未解決の問題が山積していることを知つた人が,いよいよその數を増したのはその一つである。醫學研究に對する資金も甚だ増加した。この機會にPennsylvania大學皮膚科梅毒科の創設者Duhringの達見と科學的能力とについて觸れたい。彼が醫學の進歩に貢献した醫學者であつたことは今更いう迄もない。しかし,皮膚科學の進歩を將來絶えず促すために,その教室に財政的基礎を作つたという特別な人は,わたくしの知る限り皮膚科醫として唯一である。現在の貨幣價値からすればそれは莫大な金額ではないが,それでも數人の者に研究の繼續を保證しうるのである。(註。Duhriogは疱疹状皮膚炎にその名を添えられる人。
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