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ウールバツハ教授の思ひ出
北村 精一
1
1長崎醫科大學
pp.207
発行日 1947年12月20日
Published Date 1947/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200058
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ウールバッハ教授が昨年12月17日フィラデルフィアで53歳を一期として冠状動脈梗塞のため死去したことを最近知つた。私のウィーン1年の生活,1933年から34年にかけ彼と共に主にアレルギーの仕事をした當時を偲び,今日のウィーンがどんなになつて居るか感慨深いものがある。教授はウィーン生れと思ふ。しかし彼は猶太系である。後にナチの壓迫に依つて遂に自殺したと傳へられるケル教授の下で,當時彼はプリバート,ドツェントをしてゐた。彼は最近に於けるウィーン學派の鬼才ルイトレンの後繼者を以て自ら任じてゐた樣だ。そのウイーンから相繼いで世に問ふたHautkrankheiten und Ernährung mit Berucksichtigung der Dermatosen des kindesaltersとKlinik und Therapie der allergischen Krankh-eitenとが示す通り,皮膚疾患の發生と食餌,榮養の問題を廣く取上げて精細に探究した第一人者で,次いで食餌性アレルギーに入り,更に廣くアレルギー全般に亙つて攻究した。助手時代から多くの論文を發表してゐるが,日本では稀有とされてゐるNecrobiosis lipoldica diabeticorum Ur-baoh Oppenheimの業績が光つてゐる。
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