扉
脳神経外科雑感
榊 寿右
1
1奈良県立医科大学脳神経外科
pp.703-704
発行日 1991年8月10日
Published Date 1991/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436900297
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小生が大学を卒業してすぐ母が死んだ.原因は結核性髄膜炎である.母は54歳とまだ若かったので何とか助かってほしいと願っていた.しかし状態は日々悪化,“もう助からない”と覚悟はできていた.ただその当時の思い出として,すぐに土曜日,日曜日がやってくるということであった.“土”“日”は,医師が病院に来なくなるので不安で仕方がなかった.その不安感は,はや心臓に苔の生えかかっている今でさえ,時として燃え上がり,眼を覚まさせることがある.それ以後,人の最も少なくなる土,日こそ私の出勤日と考えるようになった.幸か不幸か,この母の病が,一般外科をやろうか脳神経外科をやろうかと迷っていた当時の私を脳神経外科へと決心させる決定的なものとなった.
私は今,“脳神経外科医の信念は何か”と問われれば,患者の生命に対して最後まで諦めてはならぬことだと答えている.そして自分のした行為に対しては,徹底して自分が責任をもつ姿勢が大切だと考えている.術後の患者の容態が悪化した場合,その原因が何であろうとも必死になって改善させるように努力せねばならぬ.その患者は,発病前は元気で仕事をしていたのであるから,術後に胃潰瘍が生じようとも,肝障害が起ころうとも,脳とは関係なしで済まされる問題ではない.理屈を抜きにして一度は発病前の元気な姿にもどしてやろうと考えるのが外科医というものであろう.手術をすればかなりのtechniqueは持っているが,術後は全く他人まかせでは手術をする資格はない.
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