扉
小さな薬を巡って
糟谷 英俊
1
1東京女子医科大学東医療センター脳神経外科
pp.477-478
発行日 2017年6月10日
Published Date 2017/6/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436203536
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私が3年間の北米留学から戻ったのは1993年,36歳の時であった.当時,東京女子医科大学の日本心臓血圧研究所の地下の実験室では,氏家弘先生が中心となって,製薬会社と協力してpapaverineの徐放製剤の研究を行っていた.イヌ脳血管攣縮モデルで,腰椎から髄腔内に薬剤を挿入していた.私は留学中にサルの開頭モデルに携わってきたこともあり,薬剤がより到達しやすい開頭モデルで行うことを提案した.そして,手術用顕微鏡をみつけ,microsurgeryの道具をかき集め,研究を始めることとなった.髙倉公朋教授の理解を得て,研究はとんとん拍子に進んだ.しかし,有効な量を人に換算すると現実的ではない.そこでほかの薬剤を試した.鉄のキレート剤であるdeferoxamineは,イヌがけいれん発作を起こしていたたまれなかった.実際にヒトでも使われていたnicardipineに着目し,2つのイヌ脳血管攣縮モデルで有効性を証明することに成功した.
この結果を得意になって学会で発表していたが,このことが薬剤の製品化の命取りとなることが後で判明する.1997年にシドニーで行われた第6回国際スパズム会議にも出席し実験結果を報告した.その学会のディナーで私の隣にたまたま座ったのが,その後長い付き合いとなるThomé先生(現インスブルック大学教授)であった.
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